こんにちは、セツナです。
いきなりのご報告ですがこの度離婚し、バツイチになりました。
そもそも本ブログでは結婚報告すらしてないので、意味が分からないかもしれませんが順番にまとめていきます。
実は結婚していた話
まずそもそもいつ結婚したかについてですが、2021年に結婚しました。社会人4年目の26歳の時です。
お相手は大学当時から付き合っていた人です。
2019年くらいから同棲を始めており、「家賃や生活費はお互いが決まった額を毎月出し合って、残りのお金は個人が自由に使える」というルールを設けて暮らし始めました。
収入の違いがありましたので、金額全体の6割が私、4割がパートナーという内訳でした。
「新卒貯金0円~の資産形成」記事で家賃が都会に住んでいる割には安くなっていたのは、同棲による影響もありました。
個人的な感覚ですが、1人で賃貸に住むよりも2人で2DKなどの賃貸に住んだ方が家賃が少なくなる気はします。
2年ほどは仲良く幸せな日々を送っていたと思います。
ちなみに子供はパートナーの希望として望まないということだったので、老後まで2人暮らし+猫でも飼えたら良いねなんて話をしておりました。
2人とも仕事に悩んだ時期について
2年ほどは仲良く夫婦生活を送っていましたが、関係が変わりだしたのは私が転職活動を始めた頃からでした。
転職活動についてはこちらの記事で解説しておりますので、良かったらご覧ください。
私が転職活動を始めたのが23年5月頃でしたが、この頃にパートナーも仕事を退職しました。
前々から職場の人と人間関係が上手くいっていないと漏らしていたため、いつでも転職していいし、生活費を変わらず払ってくれるのであれば一度退職してゆっくり休んでも良いと伝えていました。
結果として23年9月からは私は新しい会社で働きだし、パートナーは退職し家で転職サイトなどを利用しつつ、転職活動を行っていました。
ところが24年1月に私は仕事の忙しさが原因で、適応障害を発症してしまいました。その時の記事はこちらから。
その時のパートナーの状況はというと、未だ転職先が決まっていない状態でした。
失業手当をもらってはいたものの、金額はそこまで大きくなく、またもらえる期間も限れらていました。
適応障害になった記事では書いていませんでしたが、私が倒れるまで頑張ったのはパートナーが転職活動中ということもあり、私が頑張って家庭を支えなければという考えがあったことも少し影響しています。
私の療養中にお話はこちらで紹介していますが、お金については今までの資産形成のお金があったおかげで困ることはありませんでした。
ただ病気になり始めた1月などは全くベッドから起き上がることが出来なかったため、家事のほとんどをパートナーにやってもらっていました。ここに関しては非常に感謝しています。
だんだんと私も回復してきた4月頃、パートナーの新しい職場が決まり晴れて再び働きだし、私ももう少しで職場に戻れるという状況で、また元通りの生活に戻れると期待していました。
しかし7月になり、私が復職するタイミングで再びパートナーは仕事を辞めてしまいました。
理由は同じく人間関係でした。
私も適応障害になった経験があったため、しばらくはゆっくり休みなよと伝えていました。
そして24年8月になったころ、2人の関係に大きな亀裂が入ってしまいました。
大喧嘩と別居をしたこと
8月に入りパートナーが再び仕事を辞めて1カ月が過ぎた頃、こんなことを言われました。
お金がきつくなってきたから、生活費の負担を減らして欲しい
パートナーは仕事を辞めてからは家で転職活動をするわけでもなく、自由に好きなことをしていました。
私はゆっくり休む期間が必要と考えていましたし、生活費も払ってくれるのであれば、どう過ごそうが本人の自由だと思っていたので、特に転職活動を急かすことはしていなかったのですが、こう言われてしまっては話が変わってきます。
とりあえずアルバイトでも始めて、それでも生活費がきつければ
その時負担については考え直そうよ
このように私は提案したのですが、聞き入れてはもらえませんでした。
私は新卒時代から資産形成をコツコツ行ってきたのですが、パートナーはあまり行ってきておらず、あまり貯金がない状態でした。そしてその後はかなりの罵詈雑言を浴びせられました。
「資産1000万円も自分のためのお金で助け合う気がないんだろ」「お前はいつもお金の話ばかり、ケチ臭い」「人の気持ちを考えられない」などなどです。正直書けない言葉も数多く言われました。
そして8月中旬にパートナーは実家に帰り、自然と別居が始まりました。
私は仕事もありましたし、家賃補助の関係で賃貸の名義人が私のままだったため、2人で住むための大きい賃貸物件のお金を1人で払うざるを得ませんでした。
元に戻れず離婚したこと
その後なんどか連絡は取り、私はなんとか二人でやり直すことはできないか模索していましたが、パートナーにその気はなく、一方的に離婚の準備を進めていました。
別居開始後2カ月ほど経った10月末頃、荷物を取りに来るということで久しぶりに対面で会うことになりました。
近況を聞いたところ、まだアルバイトも始めておらず親の元で暮らしているということでした。
私はなんとかまた二人で生活できないかと交渉したところ、私に直して欲しい部分をまとめるからそれにサインをするならば考えると言われました。
そして次の日に提示された条件は以下のようなものでした。
- 私の投資などで得た資産は夫婦共有の者とすること
- 今後の生活費の比率に関わらず、立場は対等なものとする
- 適応障害期間中に家事を行っていたことに対する補償をすること
- 今後の家などを建てる場合は金額負担は私の方が多く出すこと
これは一部抜粋に過ぎず、この他にも色々な条件が書かれていました。
そしてこの一方的な主張に、私の二人でやり直したいという気持ちも潰えてしまいました。
結局親の元で暮らしても働くことはせず、挙句の果てに私の資産まで共有財産にしようという考えの人と一緒に暮らすのは無理だと強く感じてしまいました。
そして先週ついに離婚の手続きに進みました。
一緒に購入した家具家電は親と暮らしているため、いらないらしいのですが、二人で購入したものだから半額返せと言われました。
私が仕事に出ている間に、今まで二人で購入したものをリスト化し値段の計算までしていた時には呆れて何も言うことが出来ませんでした。
どうしてその労力でアルバイトを始めようと思わないのでしょうか、私にはわかりません。
そして私から相手に数十万円のお金を渡し、私たち二人の結婚生活は終わりました。
金の切れ目が縁の切れ目ということ
私は別居期間中どうしたら二人でまたやり直せるだろうとずっと考えていました。
私が病気にならなければ良かったのか、生活費負担を減らすということを受け入れるべきだったのか、どう接したらアルバイトでもいいから働いてもらえるのか。
しかし私の想いは相手に届くことはありませんでした。
結局は向こうにとっては夫婦というものなんだから資産は共有するもの。
私が頑張って貯めた資産も共有するものという認識でした。
人から見たら私は冷たいのかもしれませんね。愛とか思いやりとかではなく、お金で決断したと思われるかもしれません。
パートナーとその親にもそんな風に言われました。
しかしながら私一人の稼ぎで夫婦生活は続けていけませんし、私の稼ぎで好きなアーティストのライブに行ったり、友達と遊んでいるパートナーを許せるでしょうか?私はそんなできた人間ではありません。
私の目標はFIREすることであり、お金が貯まったあとは夫婦二人で悠々自適に暮らしたいと考えていましたが、パートナーはこの目標を一緒に頑張ってくれる人ではなくなったのです。
言い方が悪いかもしれませんが、「ヒモ」であり「寄生」されてしまう関係になった以上、夫婦関係は続けていけませんでした。
「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったものだと常々考えさせられています。
私はバツイチになりましたが、これからも資産形成は続けていきます。
私は私の幸せのために頑張り続けます。これがセツナの生き方であり、考え方です。
今後ご縁があって新しいパートナーが見つかる日も来ると良いなと少し思っています。
以上。セツナでした、またね。