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適応障害で休職していた時の話

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こんにちはセツナです!
前回の記事で転職先の会社にて忙しさに追われた結果、適応障害になってしまった私ですが、今回は療養中の話を紹介したいと思います。
約半年の間お休みしていたのですが、どのような暮らしでどう過ごしたのか、まとめていきます。
前回の記事はこちら。

目次

寝ていることしかできない毎日

急に涙が出てきたり激しい不安に襲われた私は、2024年1月にメンタルクリニックに行き適応障害の診断を受けました。
休職の診断書を職場に提出し、休職期間に入りました。
医師からは「とにかく原因となった仕事から距離をとって、休むことが大事。自分の好きなことして休んでください」と言われていました。

しかし休職にはいってからしばらくはただ寝ていることしかできませんでした。
当時の感覚は疲れて何もできないというよりは、バッテリーが切れて動かなくなったという感じでした。

車に例えると、どれだけ燃費が悪くてもガソリンさえあれば少しずつでも前に進むことができますが、ガソリンが尽きてしまえば一歩も動くことが出来ない。そんな感じだと思います。

ベッドから動くことが出来ず、横になっている間も仕事のことを考えてしまっていました。
どうしてこんなことになってしまったんだろう、私の能力が低いから?
転職なんてしなければ良かったんじゃないのか、これからどうすればいいんだろう。
復帰して戻れる気がしない、もうあの環境には戻りたくない。
でもまた転職するにも間隔が早すぎるし、病気になった私を採用してくれるところなんてない。

そんな不安な感情ばかりずっと頭の中をグルグルしており、涙が流れ、疲れて眠り、起きては不安な気持ちになる。
寝ているときだけは何も考えずにすむという感じでした。
そんな生活を1か月ほど続けたと思います。

弟に会いに行った話

休職してから1か月が経ったときには、ベッドから起き上がって何かをすることができるようになっていましたが、まだ仕事に復帰できる状態ではありませんでした。
そのため引き続きメンタルクリニックに通い、休職延長の診断書を書いてもらいました。

※余談ですが、休職の診断書は1か月ごとに更新しないといけませんでした(私の場合だけ?)が、診断書をもらうのに5千円ほどかかったので、結構な出費でした。

実は仕事を休職していることを親にはまだ話していませんでした。転職したことを喜んでいてくれていたので、心配させたくないという思いが強かったです。
そんな時、弟から連絡が来たことがあり、仕事の様子を聞かれたタイミングで弟には休職していることを伝えました。
兄弟仲は良かったので、この時も弟には伝えて良いか…と思った気がします。

弟に話したところ、「仕事休んでて時間あるなら遊びに来なよ」と言ってくれました。
弟は地元で暮らしていて既に結婚もしており、子供もいました。幸い弟の奥さんと私も仲良くさせてもらっていたこともあり、奥さんも賛成してくれているということだったので、遊びに行かせてもらうことにしました。

そんなわけで地元に帰り弟夫婦と甥っ子に会ってきました。
一週間ほど滞在し、色々話を聞いてもらったり、甥っ子と遊んだりさせてもらいました。
弟が仕事に出ている間は一人なので、本などを貸してもらい読んでいました。

弟と話していて感じたことは、東京であくせく働くのではなくて、地元に戻ってゆっくり働くのも良いかなという風に考えるようになりました。
一方で弟夫婦が幸せに暮らしているところを見ると、私は私の人生を生きなければならないと強く感じました。

弟とはこれからも家族ですが、弟には新しい家族がいて、奥さんと子供のために頑張っているところを目の当たりにし、私も頑張らないとと思った一方、少しさびしくもありました。
弟にはさびしいなんて口がさけても言いませんけどね。

ゲームしたり、散歩したり、考えたりしたこと

3月あたりになると家の中での活動は問題なくできるところまで回復していました。
このタイミングで親にも休職していることを話したと思います。「無理せず、ゆっくり休みなよ」と温かく言ってくれました。

まだ職場に戻りたいという気持ちにはなれなかったので、ニートのような暮らしを送っていました。
朝は9時くらいに起きてご飯食べてゲームしたり、たまに夜に散歩に出かけたりしていました。
昼間に出掛けるのは心理的ハードルが高く、特に卒業シーズンということもあり、遊んでいる学生や真新しいスーツを着た社会人1年目の子たちを見るのがしんどかったです。
周りの人は新生活を送っているのに、私は停滞したまま…なんてことを考えてしまっていました。

そのため夜一人で誰もいない中を散歩していました。
静かで誰も干渉してこないあの時間だけが、私と社会を繋いでくれていた気がします。
家に帰ってシャワーを浴びて眠りにつくというのが大体の一日の流れでした。

そんな生活を送っていたので睡眠時間が働いていた時よりも増え、何もしていないのに体重が減り始めたのには驚きました。社会人になって大学時代から10キロも太っていたのですが、睡眠をしっかりとれるようになったおかげで間食などが減り、いつの間にか痩せていました。
会社で働いている時はストレスでチョコレートをつい食べてしまっていたので、嬉しい誤算でした。
やっぱり睡眠って健康に欠かせないんだなと実感しました。

社会復帰を考えはじめたこと

4月の半ばになると新生活っぽい人も減り、昼間に外に出るのが気にならなくなりました。
スーパーに普通に買い物に行ったり、近くの温泉に行ってみたりすることができるようになっていました。

病気になってからは収入が減っていたものの、会社から若干のお金が振り込まれていたことや、生活防衛資金や1千万の資産があったため、あまりお金の心配はしていませんでした。
ふと病気になってから一回も株や投資信託を確認していないことを思い出し、資産状況をチェックした時に思わず声が出るほど驚きました。なぜか資産が1300万円まで増えていたからです。

1つ1つ株や投資信託を確認したところ、市場の好調による影響ということに気づきました。
なにしろ病気になってからはニュースも見なくなり、社会から離れていたので、こんなことになっていることを全く知りませんでした。
そして資産が増えていることを目の当たりにして、再び資産形成の意欲が出てきました。

セツナ

FIREできるくらいまで資産が築ければ働かなくても良いじゃん!

このように考えた私はまた投資を考え始めたわけですが、もちろん働いていないので投資資金がない状態でした。
当時はお金が減ることはなかったものの、増えることもないので、現金資産はずっと横ばいでした。
投資再開のためにはもう一回働かないといけない思い、社会復帰をこの頃から考えるようになりました。

会社と連絡を取り始めた話

4月中旬に社会復帰を考え始めた私は、少しずつ前向きに物事を考えられるようになり、5月の半ばには通っていたメンタルクリニックから復職の許可が出ました。
そしてこの頃にはこんな風に考えていました。

セツナ

復職してダメならまた休んで転職すればいいや

このように考え、とにかくもう一回職場に戻ろうと決心しました。
そこから会社に復職許可が出たことを連絡し、少しずつ復帰の準備を進め始めました。

復職準備と手続きに時間がかかった話

なんとなく復職可能の診断書を提出したらすぐに復帰できると考えていた私ですが、実際は違いました。
会社に復職の意思を伝えたところ、2週間の行動観察期間が必要と言われました。

行動観察期間については、朝通勤する時間に起きて、満員電車に乗る。会社まで来たらカフェなどで資格の勉強や読書など仕事に近い行動を、少なくとも半日は過ごす必要があるとのことでした。

さっそく行動観察期間に入った私ですが、かなり苦労しました。
電車に乗ることは問題なくできたのですが、会社が近くなるほどお腹が痛くなり、気分が悪くなっていきました。
1日目はカフェに辿り着くことなく帰宅しました。
3日目、4日目あたりになるとカフェで何かをするというところまでは辿り着くようになりましたが、今度は周囲の音が気になりました。長い間家で一人で過ごしていたため、周りの環境音の中で何かをするということに抵抗が生まれてしまっていたのです。
7日目くらいからはなんとか集中して物事に取り組めるようになったと思います。しかしながら資格の勉強をするのが苦痛でした。2週間ではテキストを1周することくらいしかできず、資格取得まではいかないので、「今やっていることに意味はあるのかなぁ」と考えてしまっていました。やらなければならないことに意味を見出せなかったことが、とにかくしんどかったです。

5月末になんとか2週間の行動観察期間を終えたところで産業医と面談をすることになりました。
産業医との面談の結果、復職は可能だが職場は変えての復帰となると伝えられました。
これは元の職場からNGが出たというわけではなく、医者としては別の部署での復職が再発防止になる可能性が高いとの見解でした。

そこから復帰する部門を探してもらったのですが、最終的に決まるまで1カ月ほどかかってしまいました。
もともと経理しか経験していないキャリアだったので、元の部署から適度に離れた経理という職場が見つかるまで苦労したそうです。
その間私は家で過ごすのですが、「復職しよう!」と強く意気込んだ気持ちが日に日にしぼんでいくのが怖かったです。
もう少し早く復帰する部門が決まって欲しかったなぁと今でも思います。

今振り返って思うこと

病気になった時は本当に毎日がしんどくて仕方なかったです。
立ち直れたのは弟を始め家族のおかげだったと思います。本当に感謝しています。
特に甥っ子の笑顔が印象的でした。毎日あくせく働いてお金を稼ぐことだけが幸せに繋がっているわけではないんだなと考えさせられました。なので甥っ子大好きです。定期的に貢いでいこうと思います(笑)

仕事はなんやかんやで7月に復帰してから今日まで無事に働けています。ただずっとこの会社で働き続ける未来は見えていないので、どこかでまた転職する気がします。明日かもしれないし、来年か5年後か分かりませんが。

休職中のことや復職のことについて気になることがあれば、コメント頂ければ詳しくお答えさせていただきます。
資産形成関係なく適応障害や心の病気に悩んでいる方のお役に立てれば幸いです。

次回からはまた資産形成関連の記事を書いて行こうと思います。
それではまた次回、またね。

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